【火垂るの墓】おばさんのセリフは正論?清太に対して後悔はない?|ジブリの世界に興味津々♪
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【火垂るの墓】おばさんのセリフは正論?清太に対して後悔はない?

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『火垂るの墓』のおばさんのセリフは正論?

清太に対して後悔はないの?という疑問に思う方もいらっしゃるのではないでしょうか。

今回は、

  • 『火垂るの墓』のおばさんのセリフは正論?
  • 清太に対して後悔はないの?

以上の2点について解説していきます。

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【火垂るの墓】おばさんのセリフは正論?

母を亡くした清太と節子がお世話になることになった西宮の親戚のおばさんの家。

そこで清太は、おばさんに酷いことを言われて家を出ていく決心をします。

おばさんってかなり辛辣だったよね…。

彼女が放った言葉は、正論ともとれますし、理不尽ともとれます。

つまり、立場によって色々な見方ができるということ。

いやいやあれは誰が聞いても言い過ぎじゃないの?

これは、当時の時代背景も影響しています。

詳しく調べていきましょう。

清太に言ったセリフとは

空襲で家が焼けてしまった清太と節子は、遠い親戚の家にお世話になることに。

そこにはおばさんとその娘、そして下宿人が住んでいました。

計5人。当時は食料も少なく生活は厳しかっただろうね。

家に来て何日か過ぎたある日の朝食。

清太と節子は雑炊を食べ、おばさんは自分の娘のお弁当のおむすびを握っていました。

幼い節子はそれを見て「雑炊いやや」と言います。

まだ4歳。仕方がないよね。

清太が「見てみ、昼はおむすびやから、雑炊、我慢して食べ」とあやしますが…。

「ええ加減にしとき!うちにおるもんは昼かて雑炊や」

「お国のために働いてる人らの弁当と、一日中ブラブラしとるあんたらと、なんで同じや思うの」とおばさんは彼を一喝。

大変な時代だったし、雑炊でもタダで食べられるだけで有り難いんだよね。

そこで節子が口を開き「せやかて、あれうちのお米やのに」と一言。

「なんや、そんならおばさんがズルイことしてるいうの。えらいこというねえ」

「みなしご二人あずかたって、そう言われたら世話無いわ」と、節子の一言でおばさんもさらに頭に血がのぼります。

幼い節子の言葉は素直すぎるね。

「よろし、うちとあんたらと御飯別々にしましょ。それやったら文句ないでしょ」とおばさんは提案。

さらに、別の親戚の家に手紙を出し、そこへ行くよう仄めかします。

これをきっかけに2人は防空壕での生活を始めるんだよね。

14歳と4歳の兄妹には辛辣すぎる気もしますが、なんせ自分たちが食べていくのにも必死な時代。

おばさんが苛立つ気持ちも分からなくはないですね。

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おばさんが怒った理由は?

おむすびを欲しがる節子と、昼食におむすびを出してもらえると勘違いした清太に激怒したおばさん。

彼女の言い分は、国のために汗水流して働いている人が白米を食べるのは当然、一日ダラダラしている人は雑炊で我慢しなさいということ。

そもそも清太は学校や働きには行っていないの?

戦時中は学徒勤労動員といって学生でも労働に駆り出されていましたが、その製鋼所も、さらに学校までも空襲でめちゃくちゃになってしまったといいます。

しかし、学校も製鋼所も焼けてしまったからといっても、探せば働き口はいくらでもあったはず。

おばさんの目には、清太が怠けているように映ったんだね。

学生であっても国民であれば戦争のために働かされた時代ですから、こう感じるのは当たり前とも言えます。

むしろ戦時中は、そのような考え方の人がほとんどだったでしょう。

働いている人に優先的に贅沢な食事を与えて、国のために頑張ってもらおうということだね。

しかし節子は会話の中で「せやかて、あれうちのお米やのに」と呟いています。

実はこのお米は、清太と節子のお母さんの形見である着物を売って得たお米。

それなら2人でお腹いっぱい食べてもいいんじゃないの?

現代ならそうでしょうが、当時は戦時中。

おばさんは会話中に「あんたもう大きいねんから助け合いいうこと考えてくれな」と言っています。

確かに清太は、おばさんたちのことは気にせず自由気ままに過ごしている感じだったね。

自分中心に物事を考えるのではなくて、周りの人や国のためになることをする考えを持ちなさいと、彼女は言いたいのでしょう。

中学生で実の母親を亡くしてしまった子どもにもそんなことを言わずにはいられないほど、いかに厳しい時代だったかが分かりますね。

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【火垂るの墓】おばさんは清太に対して後悔した?

口論の末、結局おばさんの家を出て行ってしまう兄妹。

それをおばさんが見送るシーンがありますが、おばさんはどんな気持ちで清太たちを送り出したのか気になりますよね。

出て行ってくれて、せいせいしたのかな?

その答えは、ノー。

多少なりとも2人を追い出してしまったという罪悪感を感じていたと推測できます。

その理由を見ていきましょう。

おばさんの表情に注目

おばさんと口論した後、道具を調達して自炊をして誰にも邪魔されない自由な時間を楽しむ2人。

しかしその夜、節子が母を恋しがり夜泣きしてしまいます。

お母さんに会いたい年頃だよね。

「清太さん、こいさんも兄さんもお国のために働いてるんでっさかい、せめてあんた泣かせんようにしたらどないやの!」と清太に小言を言うおばさん。

自炊をしても後片付けはおばさん任せだし、家の手伝いはしないし、きっとおばさんも2人の事を可愛く思えないでいるんだね。

その後も何かにつけておばさんの小言は続き、ついに清太は家出を決心。

翌日、清太はリアカーに引越しの荷物を乗せて、おばさんにお別れの挨拶をします。

家を出ることは節子も同意の上だよ。

どこに行くのというおばさんの問いに、答えを濁す清太。

「はあ…?ほなまあ…気いつけてな、節ちゃん、さいなら」とおばさん。

やけにあっさりした別れ際だね。

その時、節子はこれから始まる兄との新生活に胸を踊らせ、楽しそうな声をあげます。

おばさんは節子の笑い声に驚いて振り返り、心配そうななんとも言えない表情を浮かべて2人を見つめていました。

いくら清太と節子のことを憎たらしいと思っていても、やっぱり心配ではあったんだね。

清太と節子が七輪を買って自炊を始めた時、おばさんは下宿人との会話で「ごめんなさいの一言ものうて、七輪から何から買うてきてからに、まるでアテツケや」と言っています。

おばさんは本当は、本気でご飯を別々にすることは考えていなかったのでしょう。

厳しく言えば清太も謝ってきてくれると思ったのかな?

愚直な清太は、おばさんの言葉をそのまま受け止め本当にご飯を別々にしたため、おばさんも清太に分からせようとするのを諦めてしまったのかもしれません。

他人が故に、それぞれの思いを理解できずすれ違ってしまっていますね。

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別の親戚の所に行っていれば2人は助かった?

西宮のおばさんとの会話で、清太と節子には東京にも親戚がいることが判明しています。

おばさんの所ではなくそこに移っていれば、清太と節子は長生きできたのではないか?という声もありますが、実際どうなのでしょう?

おばさんとは相性が悪かったもんね。

しかし、清太は良くも悪くも頑固で考えを曲げません。

戦時中でみんな大変な思いをしていますし、世の中親切な人ばかりではありませんので、新しい所へ行っても人と対立して苦労してしまう可能性が高いです。

あの時代の子どもは、現代の子どもよりみんな大人びていたらしいからね。

また、働き口を探したり家事の手伝いをしたりなどはせずに節子と遊んでばかりいた清太。

それは清太のお父さんが海軍巡洋艦艦長のエリートであることも影響しているそう。

お坊ちゃんだったんだね。

劇中でも高価なカルピスを飲んだり海で遊んだりしていたりと、この時代では珍しいくらい贅沢な生活をしています。

戦時中とはいえ、自分を犠牲にして国や周りの人のために働くという意識は元々薄かったのでしょう。

14歳でも自分を律して自立しなければ生きられない、厳しい時代だったのですね。

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まとめ

今回は、『火垂るの墓』のおばさんのセリフは正論?

清太に対して後悔はないの?という疑問についてお答えしました。

その結果、以下のことが分かりました。

  • 『火垂るの墓』のおばさんのセリフは正論?
    • 正論とも理不尽ともとれる
  • 清太に対して後悔はないの?
    • 後ろめたい気持ちはあった

国民の心を乏しくさせてしまう、そんな戦争時代のお話。

おばさんと清太、どちらが悪いと決めつけることはできませんね。

今回の記事を踏まえて、ぜひもう一度映画を見返してみてください♪

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