火垂るの墓は実話なのか?舞台のモデルとなった実在の場所も調べてみた|ジブリの世界に興味津々♪
火垂るの墓

火垂るの墓は実話なのか?舞台のモデルとなった実在の場所も調べてみた

火垂るの墓 実話
zyunko
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戦争映画の中でも有名な「火垂るの墓」は、どこまで実話なのか気になりませんか?

あれって実話だったの!?

また、映画の舞台やモデルとなった実在の場所も大調査!

この記事では、

  • 「火垂るの墓」は、どこまで実話なのか
  • 舞台のモデルとなった実在の場所を調査

こちらを解説していきたいと思います!

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火垂るの墓は実話なのか?

「火垂るの墓」は原作者である、野坂昭如氏の戦争体験をもとにした物語。

節子は4歳の設定ですが、実際は話すこともできないくらい幼い1歳の妹がいたとのこと。

そして、野坂氏は清太ほど優しい人間ではなく、妹の分の食糧も食べてしまっていたのだとか。

14歳ってまさに、食べ盛りの年頃だもんね。。

そして劇中でも衝撃的だった、ドロップ缶から節子の骨がポロッと落ちるシーン。

あれは実話で、火葬した妹の骨を缶に入れておいたのだとか。

彼が実際に体験した戦争での生活と、妹を死に追いやってしまった事への贖罪の意味を込めてフィクションを入れ込んだ物語です。

この後、どこまでが実話なのか詳しく解説していきますね!

原作者の実体験がベースになっている?

ジブリ作品の中で最も暗く、観終わった後には何とも言えぬ悲しみの底に突き落とされる作品「火垂るの墓」。

実は原作者である野坂昭如さんの戦争体験がもととなって制作されたのです。

野坂さんは壮絶な戦争を生き抜いたんだね…。

ただし全てがノンフィクションという訳ではなく、実際とは違う点もあるとのこと!

映画では妹の節子は4歳ですが、実際はもっと幼い1歳の妹がいたのだとか。

食糧難だった当時、彼は相当な空腹状態だったため、妹の分の食糧も食べて空腹を凌いでいたと言います。

その結果妹を餓死させてしまい、そのことを彼は、現在までずっと悔いているのだとか。

生き抜くためにはそうするしかなかったのかな。。。

せめてもの罪滅ぼしとして、作品の中だけでも妹のため必死に食糧を調達する、妹思いの優しい兄としてありたかったのでしょう。

事実と作品の大きく違う点は、妹の年齢と彼の性格の部分。

まだまだ自分のことで精一杯な歳だもんね、、、。

それでも夜中に妹が夜泣きをすると、清太がしたようにおんぶして外へ出てあやしたりしていたそう。

頼れる親もいなくて食糧にも飢えている中、まだ言葉も話せない幼い妹を14歳の少年が世話をしなければいけなかったというのは、かなり残酷な状況だったことと思います。

きっと彼だけでなく、この時代にはこういった苦しい生活をしていた人達で溢れていたのかもしれませんね…。

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ドロップ缶のシーンは実話だった!

映画の冒頭、ドロップ缶から骨が出てくる衝撃的なシーンから始まりますが、あれも実話なんですよ!

野坂氏は亡くなった幼い妹を自ら火葬し、その遺骨を缶に入れていたといいます。

実際はドロップ缶ではなく、胃腸薬の缶だったみたいだね!

妹が栄養失調で亡くなってしまう時には、骨と皮しかなかったんだとか。

妹に優しくなかったという野坂氏ですが、ちゃんと火葬もして遺骨も缶に入れてあげているのだから、十分頑張っていたのではないでしょうか。

14歳という若さで空腹に耐え、妹を守れなかったのは誰も責められないですよね。。

みんなそれぞれ生き抜くのに必死な時代だったんだろうなぁ。

妹を可愛がってやれなかった事、食糧を与えられず自分の欲望が勝ってしまったことが、どれほど野坂さんを苦しめたか…。

それは到底野坂さんにしかわからないですが、この先も生きる私たちはこのようなことを絶対に繰り返してはいけないというのが、メッセージとして伝わってきますよね。

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【火垂るの墓】舞台のモデルとなった実在の場所も調べてみた!

この物語は親戚の家がある兵庫県西宮市が主な舞台となっています。

2人が暮らしていた横穴や、お散歩しながら遊びに行った海も、実際にある場所なのだとか。

実際に見に行ってみたって人も多いみたいだよ!

他にも、清太が衰弱死した三ノ宮駅や、電車が走るシーンでは神戸の風景が使われているんですよ。

今はビルや家々が立ち並んでいますが、当時の写真と見比べてみるとそっくりでした。

現実にあった話を題材にしているだけあって、モデルとなった場所もかなり忠実に再現されているんですね!

モデルは兵庫県西宮市?

物語のモデルとなったメインの場所は、兵庫県西宮市です。

作中でも、清太と節子が親戚の叔母さんの家に預けられたのが西宮でしたね。

野坂氏の自宅も実際に火災で全焼したため、西宮にある遠い親戚宅に身を寄せていたのだとか。

この作品は実在する場所を、そのまま使っている部分が多いんだね!

そして清太と節子が叔母さん宅を離れ、2人で横穴に暮らした池は、西宮にある「ニテコ池」がモデル。

かつては蛍の姿を見ることができたそうですが、現在はもう蛍は見れないのだそう。

他にも2人が海水浴をしに行った海は、今でも地元の人達の憩いの場となっている御前浜(香櫨園浜)と、西宮のあらゆる場所が舞台となっています!

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他にも舞台となった場所があるのか大調査!

兵庫県神戸市にも、物語の舞台となっている場所があるんですよ!

清太が衰弱死してしまうのは「阪急三ノ宮駅」で、構内の丸柱付近は今でも、面影が残るほどよく似ています。

その後亡霊となった2人が電車に乗り込むホームも三ノ宮駅で、電車が走って見える景色も神戸の景色なんだとか。

すごくリアルに描かれているんだね。

清太のような戦争孤児がたくさんいて、食べるものもなく、行き場をなくして亡くなった子どもたちはたくさんいたようですね。

劇中でも、駅構内の丸柱には清太の他にも倒れている人がゴロゴロいたのが、強く印象に残っています。

きっとみんな居場所がなくて、そこにいるしかなかったんだね。。

この作品は、モデルや舞台となった場所をあえてそのまま描いていることがほとんど。

それは、私たちに架空の話ではなく、現実に起こった出来事として観て欲しかったのではないかと感じました。

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まとめ

この記事では、「火垂るの墓」はどこまで実話なのか、舞台やモデルとなった実在の場所はあるのかを解説しました。

  • 「火垂るの墓」は、どこまで実話なのか
    • 妹の年齢や可愛がってはいなかったことや細かいところが違う点はあるが、大まかなストーリーは実話だった
  • 舞台のモデルとなった実在の場所を徹底調査
    • 兵庫県西宮市と神戸市の実在の場所を描いていた

現代を生きる我々が、どれだけ恵まれているかが分かったね。

この作品は調べれば調べるほど、悲しく辛い気持ちになりましたが、実際にこのような時代があったことを私たちは、絶対に忘れてはいけないと感じました!

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