火垂るの墓

火垂るの墓「節子」の死因は?湿疹の原因や下痢の理由・命日も解説

火垂るの墓 節子
micoru
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二人の兄妹が戦時中の日本を生きる姿を描いたジブリ映画『火垂るの墓』。

節子の死因は何だったのでしょうか?

節子が痩せて亡くなるシーンは切ない…。

また節子の湿疹の原因や下痢の理由、命日も気になる人が多いはず。

今回は、

  • 火垂るの墓「節子」の死因は?
  • 節子の湿疹の原因や下痢の理由・命日も解説

こちらについて調査を進め、解説していきます。

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火垂るの墓「節子」の死因は?

節子の死因は免疫力の低下によるもの。

清太と節子は親戚のおばさんの家を出て、二人で防空壕の中で生活を始めます。

しかし、食糧が底をつき、節子は栄養失調の状態に。

食べ物の大切さがよくわかるね。

そのため、免疫力も低下し、複数の病気にかかってしまい、亡くなったと推測されます。

節子が亡くなったのは、栄養失調のみが死因としてよく挙げられていますが、それだけではないようです。

え!他にも原因があったの?

節子は亡くなる前どのような状況だったのか、調査を進めました。

死因は免疫力の低下

節子は亡くなる前、栄養失調の状態だったということがわかりますが、清太は栄養失調にはなっていません。

清太も節子も同じ生活をしていたのに不思議ですよね。

清太は痩せていても元気そうだったよね。

節子だけが栄養失調になってしまったのは、やはり免疫力が低下していたことが原因だと思われます。

節子の年齢は4歳。

子どもは免疫力が元々低く、病気にもかかりやすい傾向にあります。

まだ小さい子どもだったから、病気もかかりやすかったのかぁ。

調査を進めると、実は免疫力が低下したのは、空襲の後に降る「黒い雨」が関係していたということがわかりました。

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黒い雨と免疫低下の関係とは

空襲の後、「黒い雨」と呼ばれる有毒な黒煙の雨が降ることがあります。

実はこの雨、爆弾に含まれた放射線が含まれているのだとか。

そんな雨が降ってくるなんて、怖いね…。

節子は映画内で、その雨が目に入ってしまうのです。

その後、目をこすったり、「目が痛い」と訴えたりするシーンがありました。

目に入っちゃったらそれは痛いよね…。

おそらく有毒な黒い雨が目に入ってしまったことによって、免疫の機能をさらに低下させてしまったのではないかと考察されます。

黒い雨の有害物質が免疫力の低下と大きく関わりがあるということがよくわかりますね。

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節子の湿疹の原因や下痢の理由・命日も解説

節子は映画内で、体中に湿疹が出ていたり下痢になったりしていますよね。

この症状から、節子の湿疹は疥癬(かいせん)だったという説があります。

汗疹じゃなかったんだ!!

清太は汗疹(あせも)だと思い、節子の体を海水で流すということをしていました。

しかし湿疹は悪化し、掻いた傷から細菌が入り、感染症を起こしたのではないかと言われています。

治そうと思ったのに、余計悪化しちゃったんだね…。

下痢になってしまったのは、生活環境の悪さが原因の急性腸炎ではないかという説も。

次に、節子がかかっていた複数の病気について解説していきます。

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節子は複数の病気にかかっていた

先述した通り、節子の死因は免疫力の低下でしたが、亡くなる前に複数の病気にかかっていたことが推測されます。

どんな病気だったのかな?

節子のかかっていた可能性のある病気についてまとめましたので、ご覧ください。

  • 栄養失調
  • 疥癬(かいせん)
  • 急性腸炎
  • 黒い雨の有害物質による免疫力低下

調査した結果、節子はこのような複数の病気にかかり、病気を治そうとする自己免疫の機能が失われていったのだと推測できます。

こんなにいっぺんにかかったら、治すのも大変だよね。

生活環境が良く、薬や食糧があれば、節子は助かったかもしれません。

しかし、黒い雨による被害は、命が助かったとしても相当な悪影響があることでしょう。

黒い雨、本当に怖いね…。

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命日は8月22日

節子の命日は8月22日です。

節子が亡くなった後、清太が自分で節子の遺体を燃やすシーンがありますよね。

自分で火葬するなんて…(涙)

ちなみに映画内の冒頭で、「昭和20年9月21日、僕は死んだ」と清太が発言していることから、清太の命日もわかります。

冒頭がそんなセリフから始まる物語は、とても衝撃的ですね。

主人公が亡くなったシーンから始まるのは驚いた!

兄の清太の死因は明かされていませんが、おそらく栄養失調や飢えが死因だと思われます。

二人が亡くなるシーンは悲痛ですが、必死に戦時中の日本を生き抜いた姿が伝わりますよね。

まとめ

今回の記事では、映画『火垂るの墓』に登場する節子の死因について、また湿疹の原因や下痢の理由、命日を調査しました。

  • 火垂るの墓「節子」の死因は?
    • 免疫力の低下によるもの。
  • 節子の湿疹の原因や下痢の理由・命日も解説
    • 湿疹は疥癬(かいせん)、下痢は急性腸炎が理由という説がある。
    • 節子の命日は8月22日。

このように、節子の死因は免疫力の低下によるものだということが判明。

また、複数の病気にかかっている可能性があったということも知ることができましたね。

当時の生活を考えると心苦しくなったよ。

『火垂るの墓』は切なく悲惨なシーンも多いため、好みが分かれる映画ですが、日本の歴史を知るためにも大事にしていきたい映画だと思います。

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