『火垂るの墓』清太はなぜ働かない?クズ評価の真相と悲しい運命を徹底解説!

『火垂るの墓』は、戦争の中で妹を守ろうと奮闘する清太が戦争の中で悲しい運命に翻弄される姿が心に残る名作です。
一方で、清太に対し、「なぜ働かないのか」、「クズだ」などの厳しい評価が上がっているのをご存じでしょうか?

どうしてそんな評価なのか。真相が気になりますよね!
そこで今回は、
- 『火垂るの墓』清太はなぜ働かない?「クズ」評価の真相は?
- 清太の行動は本当に「クズ」だったのか多角的な視点で考察!
- 『火垂るの墓』清太の悲しい最後と死んだ日は?
について徹底調査してみたいと思います!
ぜひ皆さんも、悲しい運命を辿った清太に、どうして「クズ」・「なぜ働かないのか」などの声があるのか一緒に考えてみてくださいね!
Contents
『火垂るの墓』清太はなぜ働かない?「クズ」評価の真相
『火垂るの墓』の映画の感想を見てみると、兄・清太に対して「クズだ」と感じる人は意外にも多数見られました。
働かない姿勢や、節子と清太に冷たく当たった叔母さんの家を出る、という判断をした清太の行動・判断に対してマイナスなイメージを持った人が多いとのこと。

そういえば、清太は働いていなかったかも。
調べていくと、批判的な評価の多くは「大人になって見返すと清太の行動が不可解に感じる」というものでした。
子ども目線で見るのと、大人目線で見るのとでは清太に対する感じ方が違うようですね。

子どもの頃に見た時は親戚の叔母さんが意地悪だと感じていたな。
では、具体的に清太のどのような行動に対して「クズだ」と感じるのか、また、なぜ清太は「働かない」のか、次で詳しく考察していきたいと思います!
なぜ清太は働かなかったのか?当時の状況と背景
なぜ、清太は働かなかったのでしょうか?
清太には明確に「働く意思がなかった」のか、という点は気になるところですよね。

そもそも戦争中って子どもでも働くことができたのかな?
清太の年齢は、中学2年生くらい(14歳前後)とされています。
調べてみると、当時は同年代の子たちの働き口は工場などがあったようですが、学校を通して働かせてもらえるのがほとんどだったとのこと。

学校に行っていない清太には難しかったのかも、、?
それに加えて叔母さんの家を出た後の清太は、保護者も不在ということになるわけですから、4歳の妹を置いて働くというのは、難しいですよね。
「働かない」ではなく「働けない」という清太なりの気持ちがあったのでしょう。
清太の行動に対する「クズ」「悪い」という評価は妥当?
清太に対する厳しい評価には「働かない」ということだけではありません。
いくつかご紹介しますね!
- 叔母さんの家を出なければ、節子は死なずに済んだのではないか
- 叔母さんは自分の子供ではないのに面倒を見てくれたので、もっと感謝すべき
- 清太に自己中心的だと感じる場面があった
という評価がみられました。

結構、辛辣な意見が多いね、、、。
叔母さんの家でお世話になっていた清太は、叔母さんを手伝う様子も、感謝を伝えるといったことも見られませんでした。
「学校は燃えてしまった」と言い、働きにも出ない清太に対して、叔母さんは徐々に冷たい態度になっていってしまうわけですが、、、。
結果として、居心地の悪さなどの理由から清太は節子を連れて出て行ってしまいます。

確かに、この判断は大人から見ると賢明ではないのかも。
このような清太の行動や、判断が「子どもっぽい」・「自己中心的」といった批判的な評価に繋がったようです。
清太の行動は本当に「クズ」だったのか多角的な視点で考察!
清太の行動は、本当に「クズ」と呼ばれるものだったのでしょうか?
批判的な意見がある一方で、清太を擁護する意見も見られました。
いくつかご紹介しますね!
- 14歳はまだ子どもで、判断力がないのは当然
- 清太は親戚の家を出た後も必死に節子を守ろうとしていた
- 自分には同じことはできない
- 戦争で両親や友達を失った状況では、大人でも冷静な判断は難しい
というように、清太の年齢で両親を亡くしてしまった環境から、清太の心情を考えると、一概には批判できないという意見もあります。

両親を失った気持ちは計り知れないね。
こういった清太を取り巻く環境から考えてみると、叔母さんに居候させてもらっているとは言え、気持ちの整理がついていなかったのではないでしょうか。

難しいね、、、
戦争という時代の中、清太の行動だけを見ると、「無責任」や「自己中心的」と思われますが、「まだ子どもなんだ」と考えると、余裕のない気持ちや未熟な考え方も頷けるという意見も多くあります。
清太の年齢や経験を考慮すると?
最初に少し触れましたが、清太の年齢は中学2年生(14歳前後)です。
いわゆる反抗期と呼ばれるくらいの時期ですね。

現代だと社会経験も全然ない年齢だよね。
それに加えて、清太と節子の家は裕福だったといわれています。
お父さんは海軍大尉だった為、お金に困ることはなかったでしょう。
年齢や環境からみても、今まで働いたことはなかったでしょうし、戦争という極限状態で十分な判断力はなかったのかもしれませんね。
こういった部分を踏まえると、清太の行動は子どもならではの未熟さゆえの行動と言えます。
戦争という極限状態での判断は?
叔母さんの家を出た後、食料もお金も尽きてしまった清太は、盗みという行動に出てしまいます。

盗みをするなんて普通の判断状態じゃないよね。
戦争中は常に食料が不足し、秩序は完全に崩壊していました。
そんな中、節子と一緒に生きることに必死な清太にとっては、「盗むことはいけない」という道徳観よりも、「今日を生きなければならない」という生きることへの執着のほうが勝ったのではないでしょうか。

善悪の区別よりも生きることが最優先だったんだね。
結果、盗みを働いたことが近所の人たちにばれてしまうのですが、暴行を受けたのち警察へ行くことになったシーンは見た人の記憶に残る場面ですよね。
この事件があったことにより、元々頼れる大人もいなかった清太と節子にとっては、さらに社会から切り離されてしまうことに繋がっていきます。
それにより、清太と節子を取り巻く環境は苦しく、清太の判断力は極限状態へ追い込まれていったのでしょう。
『火垂るの墓』清太の悲しい最後と死んだ日は?
『火垂るの墓』は、「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」という清太の強烈な一言から始まります。
この一言目から、「この物語は悲しい最期を迎える」というのが伝わってきますよね。
冒頭の描写では、痩せこけボロボロとなりながら柱によりかかる清太を亡霊となった清太自身が見つめているシーンも印象的でしたよね。

この冒頭部分は本当に衝撃ですよね。
そして物語終盤、清太は冒頭と同じく、痩せこけ靴すら履いていないボロボロの状態で、静かに最期を迎えます。
その後、駅員がやってきて、清太が亡くなったのを確認した際に「またか」とつぶやく描写では、こうやって人が亡くなることが当たり前だったのだと連想させられますよね。

人が行きかう駅の中で誰にも助けてもらえなかったんだね。
清太が亡くなったのは昭和20年9月21日ですが、現在9月21日は「国際平和デー」(または国際平和の日)として、非暴力と世界の停戦の日として世界へ平和を呼びかける日とされています。
清太はいつ、どこで、どのように亡くなった?
清太が亡くなったのは、昭和20年(1945年)9月21日。
場所は三ノ宮駅中央口の構内の柱によりかかり亡くなりました。
節子と同様に下痢や疥癬がみられたことからも、清太は栄養失調による衰弱死だったとされています。

下痢や湿疹は作中でも記憶に残る症状だったよね。
終盤では、清太のそばに通行人がおにぎりを置いていくシーンがありますが、清太は興味を示さず口にすることはありませんでした。
衰弱した体では食べる力が残っていなかったのかもしれませんが、すでに生きる気力すらも失っていたのでしょう。
清太の死因と最後の持ち物は何だった?
清太の直接的な死因は、栄養失調による衰弱死とされています。
節子は作中で、激しい下痢や疥癬(湿疹)、しらみ、顔色が青白くなっていくなどの症状を栄養失調と診断されそのまま亡くなりました。
そして清太も節子と同じ症状が出始め、最後には亡くなってしまうというところからも、衰弱死なのではないでしょうか。

当時は栄養失調で亡くなる子どもがたくさんいたみたい。
そして、清太が最期まで持っていたのはたった一つ、ドロップ缶のみです。
ドロップ缶の中には節子の遺骨の一部が入っており、清太は最期の瞬間まで、節子を大切に思っていたことが伝わってきますよね。
しかし、清太が亡くなったあと、清太の着衣を確認していた駅員がドロップ缶を見つけ、不要なものと判断して投げ捨ててしまいます。
清太が何よりも大切にしてきた節子の遺骨が入ったドロップ缶が、他人にはいらないと無残にも捨てられてしまうという胸が締め付けられるようなシーンですよね。

最後はドロップ缶は燃やされちゃうんだよね、、、。
戦争という環境の中、命だけでなく人の想いや思い出すらも簡単に消えてしまう、ということは当たり前だったのでしょうね。
まとめ
今回は『火垂るの墓』清太はなぜ働かない?クズ評価の真相と悲しい運命について考察・解説しました。
- 『火垂るの墓』清太はなぜ働かない?「クズ」評価の真相
- 大人になって見返すと清太の行動に違和感を感じるという意見が多数。
- 『火垂るの墓』清太の行動は本当に「クズ」だったのか多角的な視点で考察
- 戦争下ということや清太の子ども的未熟な部分があった。
- 『火垂るの墓』清太の悲しい最後と死んだ日は?
- 1945年9月21日、三ノ宮駅で亡くなった。
子どもの時にみると、悲しい運命を辿る「可哀想」と思われがちな作品ですが、大人になって見返すと視点や感じ方が変わる作品かと思います。

考えさせられる作品だよね。
清太の未熟さゆえの行動や過ち、判断力の欠如などから清太に対して不快感を感じる人がいたのではないでしょうか。
何度か見返してみると、また違った見方になるかもしれませんね!