『借りぐらしのアリエッティ』原作と映画の違いは?ストーリーや登場人物も比較してみた

ジブリ映画『借りぐらしのアリエッティ』には原作がありますが、ストーリーの違いはあるのでしょうか?
登場人物を比較してみると、新たな楽しみ方ができそうですよね♪
- 『借りぐらしのアリエッティ』原作と映画の違いは?
- ストーリーや登場人物も比較してみた!
アリエッティの他、登場するキャラクターの共通点、相違点などを確認していきましょう!

原作に翔は登場するかな?
Contents
『借りぐらしのアリエッティ』原作と映画の違いは?
2010年に公開された『借りぐらしのアリエッティ』。
病気の少年・翔と、小さな女の子・アリエッティとの交流を描いた物語ですが、実は原作があることをご存じでしょうか?

イギリスの作家が書いていたんじゃなかった?
『床下の小人たち』という作品は、メアリー・ノートンによって書かれた児童文学です。
物語の展開は似ているものの、原作と映画とでは異なる点も多々ありましたよ。
まずはどのような点が違っているのか、ということに焦点を当てて、この作品を深掘りしていきましょう。
原作と映画では舞台設定が違う?
『借りぐらしのアリエッティ』の、原作と映画における大きな違いの1つが、舞台となっている場所。
- 国:イギリス
- 時代:19世紀末~20世紀頭ごろ。
原作の作者、メアリー・ノートンは20世紀に活躍した作家で、イギリスの古い建築様式で建てられた屋敷で幼少期を過ごしています。
物語の舞台も、ここから着想を得たと言われていて、『床下の小人たち』でのアリエッティ達の暮らしには、当時を象徴するアイテムが多数登場していました。

映画の方は?
- 国:日本
- 時代:2010年ごろ。
映画はというと、現代の日本が舞台となっています。
アリエッティと交流する少年も「翔」という、いかにも日本人らしい名前が付いていますね。
セミの声が聞こえたり、庭の緑が青々と茂っている様子が映されていたりと、私たちが想像する「日本の夏」をふんだんに詰め込んだ描写が印象的でした。

翔が療養している屋敷も、和洋折衷の建物だったよね。
イギリスから日本へ舞台を移した背景には、米林監督への気遣いがあったようです。
脚本を担当した宮崎駿さんは、当時新人だった監督が、あまり詳しくないイギリスの文化や生活習慣を無理矢理表現するのは、負担になるだろうと判断したのですね。
それよりも、慣れ親しんでいる日本の風景を詳細に描く方が、作品の質を高められ、日本人観客にも親しみを感じてもらえると踏みました。
また、現代社会における様々なテーマを、誰にとっても分かりやすいものとして発信し、観た人に考えてもらうためにも、今の時代の日本を舞台にすることは重要だったのかも知れません。

「共生」とか「環境」について考えてほしいと思っていたみたい。
原作と映画では伝えたいメッセージに違いがあった!
もちろん共通する部分も多い両作ですが、「何を伝えたいのか」という点においては違いが見られます。
まとめると、それぞれ2つのテーマが見えてきましたよ。
- 原作が伝えたいこと
- 私たちの暮らしにはまだ気づいていない価値や面白さが隠れている!
- どんなに小さな生き物にだって生きる権利はある!
- 映画が伝えたいこと
- 「生きている」ということだけで素晴らしい!
- 見た目や住む世界が違ってもお互いを理解することはできる!

原作は小人目線、映画は人間目線っていう感じかな?
両作品のストーリーについては後ほど詳しく触れていきますが、まず原作で特徴的なのは「小人たちの暮らしぶり」に焦点を当てた展開となっていることでしょう。
人間との交流についての描写は多くなく、小人たちがどのようにして借りぐらしを成立させているのか、その生活についてクローズアップされています。
彼らが使っている生活用品は、どれも私たち人間にとっては取るに足らないアイテムで、ものによってはごみとして捨ててしまうようなものも。
それらが小人たちによって家具や食器、インテリアとして生まれ変わっている様子は、とても意外性があって新鮮でした。

インクを吸い取るための紙がじゅうたんになるんだもん、面白い♪
原作では、小人たちは人間とは一線を画して暮らしていて、彼らが自分たちの種を後世につないでいくための方法を模索していることが伺えます。
また、彼らの生活を細かに描写することで、どんな小さな存在だって命があり暮らしがある、というメッセージを発信しているのではないかと感じましたよ。

いろいろなことを人間本位で考えてしまいがちな今、とても必要なメッセージだね。
一方映画では、アリエッティと人間との心の交流が物語の軸となっている側面がありましたね。
心臓に病気を抱えていて、生きることに対して投げやりな気持ちを持っていた翔と、どんな状況でも真っ直ぐ生を全うしようとするアリエッティ。
2人の対比からは、生きることは誰にとっても尊重されるべきだ、というジブリらしいエールを読み取ることができます。

命について考えさせられる作品が多い、ジブリならではの解釈の仕方だな~。
人間と小人という異なる種族が交わり、友情をはぐくんでいく過程は、「お互いを尊重し合う気持ちがあれば、良い関係を築いていける」ということを伝えているのだと思いました。
様々な見た目やバックグラウンドを持つ人々が暮らす現代の日本においても、これは重要な考え方なのではないでしょうか。
【借りぐらしのアリエッティ】ストーリーや登場人物も比較してみた!
アリエッティを取り巻く環境も、原作と映画では違うところが多くあります。
どちらの作品も、私たちが生きる今の時代について、深く考えさせられる要素がたくさんありました。
ここからは物語の進み方やキャラクターの性格、年齢など、相違点を解説していきますよ!

原作にも映画にも、それぞれの魅力があったよ!
翔の年齢は原作の方が幼かった?
映画では少年の名前は「翔」で、年齢は12歳とされていますが、原作の少年は8歳ということが分かっているだけで、特に名前について言及される場面はありませんでした。
なぜ、ジブリはわざわざ年齢を引き上げたのでしょうか?

原作と映画、少年はそれぞれどんな印象を与えているんだろう?
先ほども触れましたが、原作の根幹にあるのはあくまでも「小人たちの生活」でした。
実際にはあまり深い意味はなかった可能性もありますが、8歳という少し幼さの残る年齢設定にしたことで、少年の無垢さや純粋さが強調される効果があったのかも知れません。
小人たちがどのように暮らしているのかについて書く上で、少年が何を考え、どのように行動したのか、ということは、必ずしも必要な情報ではなかったのでしょう。
物語の主を担っているというよりは、アリエッティ一家の暮らしを少し豊かにするための手助けをしているような、サポーター的な存在だと感じましたよ。

少年がアリエッティ達と積極的に交流する描写も、あまりなかったね。
一方宮崎さんや米林さんは、療養中の少年を12歳に設定することで、思春期ならではの彼の繊細で内気な性格を詳細に描き出しています。
小人たちの生活そのものよりも、病気の翔と生命力に満ち溢れたアリエッティとの関係性にスポットライトを当てているのが、『借りぐらしのアリエッティ』だと言えますね。
12歳といえば、子どもから大人へと心が変化し始めるちょうど入り口にあたる年齢。
原作の少年よりもいろいろなことが分かり、自分や周りの状況を客観的に見ることができるからこそ、どうなるか分からない将来を悲観視するような発言もありました。

自分はどうせ死ぬんだ!とか、君たちだってどうせ滅びるんだ!みたいな卑屈な感じ、ちょっと嫌だったな~。
それでも、どんなに困難な状況にあっても諦めないアリエッティの姿を目の当たりにするうちに、生きることに対して前向きな気持ちに変わっていきます。
また、アリエッティの年齢も、翔と同じく思春期の真っ只中。
彼女を14歳とすることは、異なる種族である翔への純粋な好奇心だけでなく、彼の置かれている状況や心境を想像し、理解していく過程を描くのにちょうどよかったのでしょう。

原作ではアリエッティの年齢は分からなかったけど、やっぱりちょっと幼そうだったよ。
きっと翔とアリエッティ、2人を「半分子供、半分大人」の絶妙な年ごろに設定したからこそ、単純な「友情物語」では終わらず、観客に深く考えさせるようなストーリーに昇華させることが叶ったのですね。
アリエッティの父・ポッドの性格を比較!
映画と原作で異なる点の2つ目は、アリエッティの父・ポッドの人柄。
両作品を比べてみると、原作のポッドの方が頑固で、保守的なキャラクターとして描かれていました。
特に、人間に対する警戒心は非常に強く、アリエッティが目撃されたと知るや否や引っ越しを検討するほど。
家族を守るため、また、小人が生き残るために一番守るべきルールが「人間に見つからないこと」だと頑ななところが、映画とは大きく違いました。

平和を脅かしかねない事態にならないように、すごくアンテナを張っている感じだったよ。
映画でのポッドは、もう少し柔らかく、温かみのある性格のように感じられます。
家族や小人社会を守るために人間との接触を極力避けているところは原作と重なりますが、自分たちの危機を脱する手助けをしてくれた翔に対しては、徐々に心を開いていく様子も見られました。
また、家族以外との交流が少なかった原作に比べて、映画では他の小人とのコネクションをはじめから持ち合わせているなど、多少外交的。
口数は少ないながらも、その表情から妻や娘への愛情が感じられ、より細かな感情描写まで追及されているのが特徴でした。

家族思いの優しいパパ、っていうのが映画版のポッドのイメージ。
ストーリーで違う部分はどこ?
この記事でも度々お伝えしているように、原作と映画のコンセプトは、それぞれ「小人たちの暮らし」と「生きることの尊さ」。
どちらも、アリエッティという小人の少女が主人公であり、彼女の暮らしぶりが軸の部分であることには変わりませんが、人間とのかかわり方は正反対だと言えるのではないでしょうか。
原作では、いかに人間に見つからずに生活をしていくか、に重点を置いたストーリー構成となっていました。
読者が小人たちの目線で冒険を楽しめるような、スリルやワクワク感を味わえる、児童文学らしい作風になっているのが魅力でしたよね。

小学校の図書館にあったら迷いなく読み進めちゃうような面白さがあるよ♪
一方映画は、人間との共存や友情といった、現代社会にも通じるテーマを軸に物語が展開されていきます。
アリエッティや翔を通して、「限りある命をどのように使っていくのか」という哲学的な問いを、観客に投げかけているとも考えられますよね。
ちなみに、原作には続編が出ていて、アリエッティ達が引っ越し先を見つけた後の生活についても書かれていることをご存じですか?
映画で描かれているのは2人の別れの場面までですが、この余韻を残した終わり方にも、スタジオジブリならではのこだわりを感じました。

観終わった後に考え込んでしまうような作品が多いよね。
まとめ
映画『借りぐらしのアリエッティ』と原作との違いを、ストーリーや登場人物について比較しながらお伝えしてきました。
- 『借りぐらしのアリエッティ』原作と映画の違いは?
- 舞台や伝えたいメッセージに違いがあった!
- ストーリーや登場人物も比較してみた!
- ストーリー
- 原作:小人たちの生活にクローズアップした冒険物語
- 映画・命の尊さと種別を超えた友情についての人間ドラマ
- 登場人物
- 少年の年齢やポッドの性格に違う点があった!
- ストーリー
1回観ただけではなかなか理解し切れないほどの、深いテーマが隠された作品でしたね。
この記事を読んだあとなら、「なるほど!」と思える部分が増えるはずですよ♪

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