久石譲とジブリのきっかけは?宮崎駿との関係や出会いのエピソードも紹介

久石譲 ジブリ
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ジブリ作品に欠かせないのは、ストーリーはもちろん、作品全体を盛り上げる音楽ですよね。

登場人物や時代背景などに沿った、優しさや力強さを見事に表現する、その音楽を手がけるのが、久石譲さん。

どの作品も本当に気持ちのいい音楽なんだよ♪

いつの間にか、ジブリ音楽=久石譲が当たり前のようになっていますが、きっかけはなんだったのでしょうか。

宮崎駿監督とは、30年以上の関係が続いていると言われていますから、その関係性や出会いのエピソードなども気になるところですね。

長いお付き合いなんだね。

久石譲さんとジブリのきっかけや、宮崎駿監督との関係や出会いのエピソードなどをご紹介します!

【久石譲】ジブリとのきっかけは?

「ジブリ音楽といえば久石譲」といわれるまでになった最初のきっかけは、プロデューサーの高畑勲さんでした。

えっ意外だね、宮崎監督がきっかけじゃないんだね。

当時、無名の作曲家であった久石譲さんを抜擢した高畑勲さん。

多少の無理を通しても、久石譲さんに音楽を担当してほしかったそうですから、才能を見抜く高畑勲さんの目と耳は、確かなものだったわけです。

すごいご縁だよね。

高畑勲さんからチャンスをもらった久石譲さんが、ジブリ音楽に携わるまでを詳しく見ていきましょう。

初めてのジブリ作品はナウシカだった!

久石譲さんが、数々のジブリ音楽に携わる最初の作品となったのが『風の谷のナウシカ』です。

ナウシカは大好きな作品、もう何回も見たよ!

1982年にジブリと同じレーベルからソロアルバムを発表した久石譲さん。

レーベルが同じだったこともあり、公開前の「ナウシカ」のイメージアルバムを担当することに。

このとき、ナウシカのプロデューサーだった高畑勲さんが、久石譲さんの音楽をとても気に入ったことで、事態が急変。

この出会いは、すごい運命だと思うよ。

実はナウシカの音楽担当には、当時テレビなどにも出演し、すでに有名な音楽家であった、細野晴臣さんや、坂本龍一さんなどの名前があがっていたそうです。

特に細野晴臣さんは、ナウシカのイメージソングをすでに手がけていたとか。

ですが、高畑勲さんは久石譲さんの音楽を諦めきれず、たくさんの反対に説得を繰り返しながら、採用することに成功。

なんだかちょっと失礼な気もするけど…。(汗)

ここから久石譲さんとジブリの関係が始まったのです。

ちなみに、細野晴臣さんは「いろいろな事情があるのだろうけど…」と、当時の微妙な心情をエッセイに書いていました。

相手が誰であろうと、こだわりを貫き通すジブリの覚悟が、本当に見事です。

ジブリで担当した作品は?

ジブリ音楽といえば久石譲さんですが、実際に携わった作品は、どれくらいあるか気になりますよね。

きっとたくさんあるんだろうね♪

ジブリでの作品は全部で11作品ありました!

1984年風の谷のナウシカ
1986年天空の城ラピュタ
1988年となりのトトロ
1989年魔女の宅急便
1992年紅の豚
1997年もののけ姫
2001年千と千尋の神隠し
2004年ハウルの動く城
2008年崖の上のポニョ
2013年風立ちぬ
2013年かぐや姫の物語

どの作品も大ヒットした名作です。

そこに久石譲さんの音楽が加わることで、一気にジブリの世界観が広がりますね。

ボクは全部見たよ、音楽も素敵だったな〜。

それぞれの作品に思い入れがあるとは思いますが、中でも印象的だったのが、風の谷のナウシカの「ナウシカ・レクイエム」。

「ラン、ランララ、ランランラン…」と歌う、儚く優しい歌声は、とても耳に残りますよね。

実は、これを歌っているのは、当時4歳だった久石譲さんの娘さんでした!

これには宮崎駿監督も大絶賛で、デモテープを聞き、即採用されたそうです♪

【久石譲】宮崎駿との関係や出会いのエピソードも紹介!

30年以上の付き合いになるという久石譲さんと宮崎駿監督ですが、その関係はとてもフラットなものだそう。

長い付き合いだから、お友達かと思ってた。(汗)

とはいえ、長い年月をかけてたくさんの作品を作り上げた二人ですから、全く無関心な関係とは思えませんよね。

人間関係は非常に難しく、人との付き合い方に悩んでいる方も多いと思います。

お二人のように、お互いを尊敬し合える関係のまま、長く一緒にいられるには、なにか秘訣があるのでしょうか。

お互いに信頼してないと、30年も一緒に仕事できないと思うよ。

2人は史上最強コンビ?

久石譲さんは「自分と宮崎駿監督は最強のコンビ」といわれることに対し、それは勘違いだといいます。

勘違いって、コンビじゃないってこと?

宮崎駿監督が、新たに作品を作るからといって、必ず自分が音楽を任されるわけではなく、たまたま選ばれているだけ、コンビを組んでいるわけではない、と語っていました。

食事に行くなど、プライベートな付き合いを全くしないことで、常に緊張感を持って仕事に向き合うことができる、それが長く一緒にいられる理由。

ただ仲がいいからって、長く一緒にいられるわけではないんだね。

そして、次の作品でも、宮崎駿監督から選んでもらえるように、これからも勉強する必要がある、と話しています。

久石譲さん自身は、“たまたま選ばれた”とおっしゃっていますが、そんなはずはありません。

あれだけの作品を作り上げてきたお二人ですから、史上最強のコンビであることは間違いないでしょう。

あの世界観は、二人じゃないと出せないよね。

出会いのエピソードをご紹介!

久石譲さんと宮崎駿監督との初めての出会いは、阿佐ヶ谷にあった「ナウシカ」の準備室。

初めてあった監督は、“少年のような目”をしていたのが印象的だったそう。

純粋な気持ちで作品を作り上げているのがよくわかるね。

ナウシカの登場人物や背景について熱く語る監督の姿を見ていると、自分も熱くなってしまったのだとか。(笑)

それから30年、お二人の関係が長続きしている理由のひとつに、大きな共通点があるそうです。

それは、過去の作品についての話は一切せず、今作っている作品に集中して、全力を注ぐこと!

いつでも前を向いて、新たなことにチャレンジしているのがわかるね。

過去を振り返らず、常に最高の作品を完成させたいというこだわりは、まさに職人ですよね。

そして、忘れてはいけない職人が、もうひとり!

全くの無名だった久石譲さんの才能を見抜いた高畑勲さんもまた、すご腕の職人でした。

まとめ

ジブリ作品には欠かせない作曲家の久石譲さん。

ジブリとのきっかけや、宮崎駿監督との関係性、出会いのエピソードをご紹介しました。

人とのご縁って、いつどんなところにあるかわからないね♪

無名だった久石譲さんとジブリのきっかけを作ったのは、プロデューサーの高畑勲さんでしたね。

てっきり宮崎駿監督が、探し出した逸材なのかと思っていました。(笑)

30年続く関係性は、あえて仕事だけの付き合いに留めておくことが大事。

そして、出会いのエピソードは、劇的なものではありませんが、お互いの思いを熱く語ることができた、大事な時間だったに違いありません。

二人が出会ったこの瞬間が奇跡的な運命だと思わない?

ジブリ作品は、世界的にも評価が高く人気がありますが、それは音楽があってこそ。

やはりお二人は、日本が誇る最強のコンビですね!

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