ゲド戦記

ゲド戦記は何を伝えたい?宮崎駿と息子(吾郎)のメッセージは違うの?

ゲド戦記 何を伝えたい
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宮崎吾郎監督のデビュー作となる映画『ゲド戦記』は、私たちに何を伝えたいのでしょうか。

息子である宮崎吾郎監督が手掛けることに、反対していたといわれる宮崎駿監督、完成した作品を見てどう感じたのか、気になりますよね。

やっぱり批判したかもしれないね。

そして、原作小説『ゲド戦記』の大ファンであった宮崎駿監督と、実際に作品を作り上げた宮崎吾郎監督のメッセージは、違うものだったのでしょうか。

それぞれに作品に対する思いが、違うのかもしれないね。

今回は、『ゲド戦記』は何を伝えたいのか、宮崎駿監督と息子である吾郎監督のメッセージは違うものなのか、調査していきたいと思います!

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ゲド戦記は何を伝えたい作品なのか?

『ゲド戦記』が私たちに伝いたいこと、それは「今をどうやって生きるのか。

生きにくい世の中だもんね…。

アレンやテルーの過去の出来事や、これから起こるであろう出来事は、生きていればこそ。

葛藤と苦しみの中で、生きる意味に気づくことができたアレンのように、どんなことが起きても、生きることから逃げてはいけない、そして闇があるから光に気づくことができる。

そんなメッセージを私たちに投げかけているようです。

いつまでも暗闇ではないってことだよ。

実際に、どのようなメッセージが発信されているのか、詳しく見ていきましょう。

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親殺しに込められたメッセージとは?

『親殺し』は、現代の若者に向けて「あなただけじゃない」というメッセージが込められているようです。

押しつぶされそうな閉塞感や、感情を抑えられず自分をコントロールできない、そんな状況で、アレンは父親を殺してしまいました。

衝動的に刺したってことだね。

人には理性があるので、最悪の事態を招く前に自分を抑えることができますよね。

ですが、それがコントロールできずに苦しんでいる、アレンのような若者に対して「ひとりじゃない、みんな同じ思いだよ」だというメッセージではないでしょうか。

だからといって、決して全てが許されるわけではありません。

人を傷つけることは絶対にダメだよね。

衝動的とはいえ、人を殺していい理由にはなりませんから、どうしたらその苦しみや、心の葛藤を乗り越えればいいのか…、その答えは闇のなかにありそうです。

闇のなかにある影こそが光だった!

映画のなかで登場するアレンの影、あの影こそがアレンを導く希望の光でした。

あの影は罪悪感から生まれたんじゃないの?

衝動的に父親を殺してしまったアレンは、恐怖や後悔といった負の気持ちに押し潰されそうになり、その影に怯える日々を過ごします。

ですが、物語の最後に、父を殺してしまったこと、そこから逃げている弱い自分を全て受け入れることで、アレンの心に変化が。

暗闇から抜け出すことができたんだね!

影だと思っていたものは、前に進むための道を照らす光だったと知ることができました。

闇の中にいることで、黒い影の部分しか見えないと思い込んでいただけ、その反対側にある光にやっと気づくことができたのです。

ひとりで苦しまないで、誰かに頼ってみてもいいかもね♪

自分に自信が持てず自暴自棄になりそうなとき、一旦立ち止まり、自分のダメなところも全て受け入れてみると、闇の中に、小さな光を見つけられるかもしれません♪

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【ゲド戦記】宮崎駿と息子(吾朗)のメッセージは違うの?

宮崎吾朗監督の『ゲド戦記』が伝えたいメッセージに、宮崎駿監督も共感したようです。

原作者であるル=グウィンは、自分の作品を映画化するならば宮崎駿監督に撮ってほしいと願っていました。

本当はそれが条件だったんだけどね。(汗)

結果的に、息子である吾郎氏が監督を務めることになったわけですが、完成した作品は散々な批判を受ける結果に。

監督の世界観が違えば、同じタイトルでも、全く違う内容の映画が出来上がるといわれています。

価値観が違うんだから、違うものに決まってるよ!

”共感”はしていた宮崎駿監督ですが、もし実際に『ゲド戦記』を撮っていたら、吾郎監督のとは違うメッセージになっていたかもしれませんよね。

映画をみた宮崎駿監督の感想は?

宮崎駿監督は『ゲド戦記』の試写のあと、「俺が作っても内容は同じだった」と呟いたそう。

同じ解釈をしたってことかな?

『ゲド戦記』の制作が決まったとき、宮崎駿監督は他の作品に取り掛かっていたため、“吾郎氏に任せるのはどうか”と、鈴木敏夫プロデューサーから提案があったそうです。

このとき宮崎駿監督は、吾郎氏にゲド戦記が撮れるはずがないと猛反対。

本当は自分が撮りたかったんだよね。(汗)

ル=グウィンによる『ゲド戦記』は、宮崎駿監督作品に大きな影響を与えたといわれる作品、素人の吾郎氏が制作するには、荷が重いのではないかと思っていたようです。

ところが、完成したゲド戦記を見て、思いのほか感動してしまった宮崎駿監督は、「俺が作っても同じだった」と思わず呟いてしまったのでしょう。

素直に感動したんだね。

“俺が作っても同じ”とは、宮崎駿監督の思うゲド戦記と、吾郎監督が伝えたいメッセージは同じだったということになりますね。

テーマは”今を生きる”といういうこと

宮崎吾郎監督は『ゲド戦記』のテーマについて「今を正しく生きるにはどうしたらいいか」だと話していました。

命を救われたテルーと、生きることから逃げ出そうとしていたアレン。

二人の様子から、“生と死”について、そして“生きる”ということの大事さを考えさせられます。

命の尊さに気付かされるよね。

よく考えてみると、“今を正しく生きる”とは、簡単なことではないですよね。

毎日正しく生きていますか?と質問されたとき「はい」と答えることできるでしょうか。

忙しい毎日に流され、なんとなく生きている感じはありませんか。

毎日が慌ただしくすぎていく感じかな。

宮崎吾朗監督の『ゲド戦記』は、そんな慌ただしい日々を過ごしている私たちに、少し立ち止まって、「生きることの意味を考えてみよう」と語りかけているようですね。

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『ゲド戦記』をスマホやパソコンで観る方法

ところで、『ゲド戦記』をスマホやパソコンで観る方法があるのはご存知ですか?

ジブリ作品って日本じゃ著作権の絡みでツタヤとかゲオのレンタルでしか観れないんじゃないの??

そうなんです。ジブリ作品は日本国内で放送権を持っているのは「日本テレビ」だけなので、動画配信サービスでは配信できないんですね。

ただし、それは日本国内での話であって、実は海外のNetflix (ネットフリックス)だとジブリ作品が見ることができます!

それって大丈夫なの?

もちろん、大手のVPNサービスを使うので危ないどころか、、ITセキュリティスペシャリストから高い評価を得ているサービスなので安心して『ゲド戦記』を観ることができます♪

詳しいことは、こちらの記事で紹介していますので、よかったら参考にしてみてくださいね。

海外版Netflixでジブリ映画をカンタンに見る方法
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ゲド戦記で伝えたいことまとめ

映画『ゲド戦記』が何を伝えたいのか、宮崎駿監督と息子である吾郎監督が伝えたいメッセージは違うのか、調査しました。

伝えたいことがどんなことか、わかってよかったよ♪

吾朗監督の『ゲド戦記』をみた宮崎駿監督は、「自分が撮っても同じ内容になっていた」と、遠回しに吾朗監督を認める発言も。

このことから、見ている私たちに何を伝えたいのか、二人のメッセージは同じだったということですね。

親子って感性も似るのかな。(笑)

“親殺し”は、宮崎駿監督と息子である吾郎監督の親子の確執を描いているのかと噂されていましたが、実際は若者へのメッセージが、ちゃんと込められていました。

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